舞台『熱海殺人事件』
久しぶりに舞台を観劇してきました。
『熱海殺人事件 LAST GENERATION 46』。
この熱海殺人事件、実は色々と思い入れのある作品だったりします。
初めてこの作品を観たのは二年前。
その時は『熱海殺人事件 NEW GENERATION 』というタイトルでした。同じ制作会社、同じ主演俳優さんの作品。
初めてこの作品を見たのは東京の紀伊國屋ホールでした。この頃はよく舞台観劇のために東京に行っていて。
本当に楽しいことや自分を救ってくれるものは、フィクションの中にしかないと思っていた私。東京には大阪までやって来てくれないエンタメが山ほどあって。自分が本当にいるべきなのは東京だ、なんて心のどこかで思っていた私にはこの物語が衝撃で、その熱量と訳の分からなさとやるせなさにメッタ刺しにされました。東京で観るからこそ、意味のある話だと思いました。翌日は別の舞台の当日券に並ぶつもりだったのに、気づけばもう一度この舞台の当日券に並び、なんとかキャンセル待ちに当選し、再び観劇できたことを覚えています。
そんな私を見て、前から母がよく歌っていました。
東京へは、もう何度も行きましたね、と。
その時は母の鼻歌だけでちゃんとした曲名は知らなかったのですが(マイペースの「東京」という曲みたいです)、このサビが舞台の山場で流れ始めたのも衝撃で。内心ちょっと動揺しました。笑
またその山場である、犯人・大山金太郎が幼なじみのアイ子を殺害するまでのやりとりを回想する場面。ここの金太郎がとにかく情けなくて可哀想で、アイ子が「面倒」と切り捨てるのもよく分かる場面です。アイちゃん逃げて超逃げて、って初めて観たとき思った。笑
この場面がとにかく印象的で、当時のゼミの先生に愚痴っぽく漏らしたことがありました。
「身勝手で相手のこと考えてるようで自分のことしか考えてなくて、でもどこか気になっちゃうんですよね、なんででしょうね」って。
そしたら先生は、「君みたいな女性がいるからこの世の男女の不思議が成立するんだよ」と悪戯っぽく笑ってたんですが。笑
多分この放っておけなさって、役者さんの演技によって生まれるものなのかなと思います。
私が生まれて初めて見た大山金太郎は黒羽麻璃央さんという役者さんによって作り上げられていました。身勝手でずるくて空回りし続ける金太郎。世間を、アイ子を、全てを逆恨みしていた金太郎。百姓、とアイ子に呼ばれた瞬間、スッと身に纏う雰囲気が冷徹なものに変わって。アイ子の首を絞めながら低い声で吐き出すように絞り出すように心境を語る金太郎は、追い詰められた人そのものでした。黒羽麻璃央さん自身は刀剣乱舞などの2.5次元舞台でキラキラ活躍してるイメージだったので、まりおくんやるやんって正直思いました。誰目線やって話ですね。笑
そして今日見た大山金太郎は、佐藤友祐さんという方によるもの。こちらの金太郎はとにかく途方に暮れている印象でした。アイ子のように金ちゃんと呼びたくなる感じ。まりお金太郎のベースにあるものが怒りなら、佐藤金太郎のベースは悲しみと困惑でした。どうして誰も分かってくれない、という思いは共通してありつつ、他にどうしようもなかったと、全身で項垂れているようで。そこに放っておけなさがあるのかな…。でもやっぱりどちらの金太郎も、アイ子は逃げようとして正解だったと思います。アイ子役の女優さんも変わっていたので、年齢や雰囲気から如実に違いがあって興味深かったです。ここも語ってしまうと長くなるので省略しますが、佐藤さんの金太郎には今泉佑唯さんのアイ子が、同世代として良い意味で同じくらいの頼りなさや漠然とした不安が漂っていて、合っていたと思います。
舞台全体の感想としては、前回の印象が強烈すぎたのか、今回は一歩引いた受け止め方になりました。東京やフィクションに対する私の意識が変わったのも大きな一因だとは思います。東京だけが私のいるべき場所ではないし、楽しいことはフィクションの外にだって十分あると、あれから知ったので。
『熱海殺人事件』、前回と今回と演出の方は共通しているので、次にもし観るなら別の演出で観てみたい作品です。その時にはまた視点が変わった私になっているんだと思います。なっていたらいいな、なっていたら面白いだろうな。今はそんな気持ちです。
それでは、今日はこの辺で。
『熱海殺人事件 LAST GENERATION 46』。
この熱海殺人事件、実は色々と思い入れのある作品だったりします。
初めてこの作品を観たのは二年前。
その時は『熱海殺人事件 NEW GENERATION 』というタイトルでした。同じ制作会社、同じ主演俳優さんの作品。
初めてこの作品を見たのは東京の紀伊國屋ホールでした。この頃はよく舞台観劇のために東京に行っていて。
本当に楽しいことや自分を救ってくれるものは、フィクションの中にしかないと思っていた私。東京には大阪までやって来てくれないエンタメが山ほどあって。自分が本当にいるべきなのは東京だ、なんて心のどこかで思っていた私にはこの物語が衝撃で、その熱量と訳の分からなさとやるせなさにメッタ刺しにされました。東京で観るからこそ、意味のある話だと思いました。翌日は別の舞台の当日券に並ぶつもりだったのに、気づけばもう一度この舞台の当日券に並び、なんとかキャンセル待ちに当選し、再び観劇できたことを覚えています。
そんな私を見て、前から母がよく歌っていました。
東京へは、もう何度も行きましたね、と。
その時は母の鼻歌だけでちゃんとした曲名は知らなかったのですが(マイペースの「東京」という曲みたいです)、このサビが舞台の山場で流れ始めたのも衝撃で。内心ちょっと動揺しました。笑
またその山場である、犯人・大山金太郎が幼なじみのアイ子を殺害するまでのやりとりを回想する場面。ここの金太郎がとにかく情けなくて可哀想で、アイ子が「面倒」と切り捨てるのもよく分かる場面です。アイちゃん逃げて超逃げて、って初めて観たとき思った。笑
この場面がとにかく印象的で、当時のゼミの先生に愚痴っぽく漏らしたことがありました。
「身勝手で相手のこと考えてるようで自分のことしか考えてなくて、でもどこか気になっちゃうんですよね、なんででしょうね」って。
そしたら先生は、「君みたいな女性がいるからこの世の男女の不思議が成立するんだよ」と悪戯っぽく笑ってたんですが。笑
多分この放っておけなさって、役者さんの演技によって生まれるものなのかなと思います。
私が生まれて初めて見た大山金太郎は黒羽麻璃央さんという役者さんによって作り上げられていました。身勝手でずるくて空回りし続ける金太郎。世間を、アイ子を、全てを逆恨みしていた金太郎。百姓、とアイ子に呼ばれた瞬間、スッと身に纏う雰囲気が冷徹なものに変わって。アイ子の首を絞めながら低い声で吐き出すように絞り出すように心境を語る金太郎は、追い詰められた人そのものでした。黒羽麻璃央さん自身は刀剣乱舞などの2.5次元舞台でキラキラ活躍してるイメージだったので、まりおくんやるやんって正直思いました。誰目線やって話ですね。笑
そして今日見た大山金太郎は、佐藤友祐さんという方によるもの。こちらの金太郎はとにかく途方に暮れている印象でした。アイ子のように金ちゃんと呼びたくなる感じ。まりお金太郎のベースにあるものが怒りなら、佐藤金太郎のベースは悲しみと困惑でした。どうして誰も分かってくれない、という思いは共通してありつつ、他にどうしようもなかったと、全身で項垂れているようで。そこに放っておけなさがあるのかな…。でもやっぱりどちらの金太郎も、アイ子は逃げようとして正解だったと思います。アイ子役の女優さんも変わっていたので、年齢や雰囲気から如実に違いがあって興味深かったです。ここも語ってしまうと長くなるので省略しますが、佐藤さんの金太郎には今泉佑唯さんのアイ子が、同世代として良い意味で同じくらいの頼りなさや漠然とした不安が漂っていて、合っていたと思います。
舞台全体の感想としては、前回の印象が強烈すぎたのか、今回は一歩引いた受け止め方になりました。東京やフィクションに対する私の意識が変わったのも大きな一因だとは思います。東京だけが私のいるべき場所ではないし、楽しいことはフィクションの外にだって十分あると、あれから知ったので。
『熱海殺人事件』、前回と今回と演出の方は共通しているので、次にもし観るなら別の演出で観てみたい作品です。その時にはまた視点が変わった私になっているんだと思います。なっていたらいいな、なっていたら面白いだろうな。今はそんな気持ちです。
それでは、今日はこの辺で。
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